■ 製造工程
玄米を精米、洗米し、蒸す。蒸し米が35℃ぐらいに冷えると麹室へ。麹ができたら、水、麹、蒸し米、酵母を混ぜて酒母を作り、桶に仕込む。水、蒸米を入れたタンクに酒母を加えて20〜30日でもろみに。もろみを圧縮し、酒粕と液を分離し、この段階で税務署の検査を受ける(ここまでは国のもので好き勝手に飲んだりできない)。ちなみに、大手の安い酒は粕が出ないらしい。ろ過して火入れして貯蔵、熟成、瓶詰め、販売にいたる。精米から絞るまでだいたい1か月。その後すぐに出荷するもの、3か月〜1年熟成するものなどさまざまだ。
日本酒度というのは、浮状の測定器具で測った酒の比重で表す。水が±0。浮が浮く(比重が重い)ものは未醗酵なので甘い(−)。浮が沈む(比重が軽い)ものは醗酵が進みアルコールが増えたため辛い(+)。
糖類、醸造アルコールを入れた合成酒、三造酒などの酒もある。糖類は、水あめ。これを入れると原価が安くつく。アルコールは、終戦後、食料難で米が不足したため、アルコールを入れて量を増やしたのが始まり。昔はサツマイモ、いまはサトウキビの糖蜜や酒粕を醗酵させて取る。醸造アルコールに水あめ、ブドウ糖、酸を入れただけの酒も出回っている。
■ いい酒とは
麹かびを入れて澱粉をブドウ糖に換え、酵母を入れてブドウ糖をアルコール発酵させたものが酒。うまくアルコール発酵したものはいい清酒に。人間の体と同じで、糖や蛋白が残ってはいけない。昔から、ちょっとした発見の積み重ねで酒は進化してきた。現在は、原料の米も豊富にあるため、精米歩合35%など、米の芯の澱粉だけを使うような高級酒も出ている。後継者難ではあるが、年々研究が重ねられて酒自体は良くなっている。いくら作っても「最高」にはならない。
甘い酒は、充分発酵しないうちに絞るので、量がたくさんとれないし、アルコール度数も出ない。辛い酒は量も出るし、アルコール度数も出る。風味は酵母や地方(水)によっても変わる。酒の70%は水でできている。昔から、いい水(伏流水)が出るところに酒屋ができた。いつまでも渋みや苦味が残らないのがいい酒だが、好みは十人十色。自分の好きな酒が一番いい酒。
■ 但馬の杜氏
吉田さんも、子供の頃から、当たり前のように酒屋に行くと決めていた。美方町では、昔、冬になると雪が2〜3mも積もった。米作りだけでは生活できず、17、8歳になると男の多くが出稼ぎに出た。それが当たり前だった。軍事産業に従事していた戦時中を除き、この地方の主な産業は、但馬牛、出稼ぎ(大阪、奈良、京都)、凍り豆腐作りであった(ちなみに、凍り豆腐作りは、冷蔵庫が開発されるとすぐに廃れた)。つまり、もともと技術のある人が但馬に住んでいたのではなく、出稼ぎで技術を身に付けた人が仲間を募って連れて行ったことで次第に伝統となったらしい。また、酒屋は待遇もよく、いい勤め口と認識されていた。
10月に稲を刈り取ると、杜氏が気の合う仲間を5人、10人と連れて都市部の酒屋へ出かけた。12月から3月いっぱい、酒造りに携わる。帰るときには、酒と酒粕を持ち帰り、近所にも配った。吉田さんは、終戦の年、数え18のときから50年以上、酒造り一筋。結婚以来一度も家で正月を迎えた記憶がない。それでも、そのような生活が当たり前だった。戦争も体験し、辛抱することにも慣れていた。留守宅の女たちは、同じ境遇の仲間もたくさんおり、気楽な冬を過ごしているらしいと笑う。
それが変わり始めたのは、20年ほど前から。地元の仕事が増えたり、大学を出て都会に住む若者が増え、後継者がいなくなった。
■ 杜氏組合
明治34年に美方郡杜氏組合が発足。酒造技術などの研究を始めた。昭和35〜40年がピークで、杜氏380人、組合員3,600人(蔵人)を擁したが、機械化により蔵人を増やす必要がなくなった。また、洋酒の台頭や飲む量も少なくなったことで、酒造量も減った(酒造量のピークは昭和48年)。値段は昔の方が高いはず。今の1万円相当の酒が一番安いくらいだった。大手が安くて悪い酒をどんどん出し、中小の酒屋は、値段は高くても純米酒などに特化せざるを得なくなった。
現在は、但馬杜氏組合(美方郡)で杜氏242人、組合員440人。一番若い人で54〜5歳、最高齢は78歳と、高齢化が進んでいる。現在の勤め先は、名古屋、九州、四国、中国、近畿全域に広がっている。組合では、杜氏同士が集まって、研究会、品評会などを行ったり、仕事の斡旋もしている。但馬にはこのほか、城崎、南但、出石に杜氏組合がある。
このように後継者が不足しているため、小さな酒屋でも、最近は、出稼ぎだけでなく年間雇用の地元社員も一部入れ、任せられる人を養成しようとしている。
■ 終わりに
参加者から「村岡では、農業収入を全部あわせた額よりも、杜氏さんの稼いでくる額の方が大きい」という話も紹介された。しかし、農業と出稼ぎで生計を立てようという若者は今どきもういない。そう遠くない将来「但馬杜氏」はいなくなり、「但馬杜氏」という言葉そのものも忘れ去られていくのではと寂しい思いがした。せめて地元の酒蔵で、この伝統が受け継がれてゆくことを願うばかりだ。
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