| 開催月日 | 3月23日(土) | 開催市町 |
豊岡市 |
| テーマ | 円山川の船大工 | ||
| 講師 | 森田道雄 |
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| 場所 | 豊岡公民館 研修室 | ||
| 参加者 | 和田・島垣・浜野・中田(孝)・高石・衣川・守本・木村(昌)・栃尾・能登・西躰・細見・山本・粂井・会員外 1名 | ||
| 担当 | 山本・能登・衣川 | ||
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■ 講師 森田道雄氏 80歳 円山川では最後の船大工。平成2年に30石船「豊鴻丸」完成。平成7年豊岡市内女代神社の揚舟を建造。森田家は当初を「舟屋」、江戸中期からは「船津屋」 と呼ばれ、代々、造船を主な家業とした。道雄氏は13代目にあたり、14代は製材業を営む。創業以来340年余りに新造船6000隻を数えるという。 道雄氏は父の後を継いだが、「子どもの頃から、船大工職人の作業の音が好きで工場によく遊びに行った。特に、大工の底板をトントンとたたく音が好きだっ た。」というから、根っからの船大工であろうか。 |
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■ 船運の歴史 道路が整備されていない時代、船が主流であった。円山川は物流の動脈であった。下りは川の流れと風、上りは風による帆船、 風がないときは岸からロープでひっぱり上流へと舟を進めた。円山川沿いにはその道が少し残っている。 玄武洞の玄武岩や川の土砂を運ぶ運搬船、シ ジミ取りや鮎漁の漁舟、橋の代わりの渡し舟など用途は多様であった。円山川で最も重要な運搬の役割を果たしたのが10石から15石の舟であった。円山川 には舟の石数(積載量)により、6、7、8、10、12、15、20、30石舟が使われていた。自動車交通が盛んになるにつれ、船運の歴史に幕が閉じられ ることになった。 森田氏の「今の動力船と違い、帆船である30石船は、底板に寝転がると船底を流れる水の音にうっとりしてしまう。」「円山川の船 から見る景色は格別なものがある。」「円山川は昔はもっときれいだった。」という言葉が印象的であった。 |
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