| 開催月日 | 9月28日(土) | 開催市町 |
浜坂町 |
| テーマ | 豪商上島家の野望 | ||
| 講師 | 上島 釟郎(上島工業株式会社社長) | ||
| 場所 | 上島工業株式会社 | ||
| 参加者 | 島垣、木村尚、西躰、太田、高石、中嶋、守本、衣川、湊崎、中田、能登、浜野、木村昌、和田 | ||
| 担当 | 高石 太田 守本 | ||
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■ 旋盤と尖らせる技術 旋盤は、削るのに限度があるが、特殊な技術で0.2mmまで削れるようになっている。スレジウムという機械でたたいて尖らせることもできる。商品のひと つのセパレータフックというのは先端から5mm単位で太さが制限されているので金型の中でたたいて製造している。そのため、100分の2ミリぐらいの精 度で作ることができる。わが社でも可能な技術。最近は百分台から千分台の世界の精度が求められるので技術的にも難しくなってきている。 ■ 針の注文とクーラーに使われる針 コンピューターに針のデータが約3000種類あるので、客に針の用途と使用方法によって、ときには、他の針を進めることもある。 例えば、抗菌システムという空気を浄化する機能のついたクーラーには、特殊な針が1台に約100本入っている。その針から高電圧でスパークさせて埃を吸 い取って空気をきれいにしている。そのような針も取り扱っている。 |
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■ 技術伝承と社員 針の作り方が自分と全く違うことがある。製作方法は、人によって違っても、親方からの方法である必要はないので、見ていても興味深い。社員5人、フリー タイム(パート)が4人。フリータイムとは好きな時間に来て好きなときに製造して帰る。社員が単独で技術屋。初心者には、プレスにひとつづつ品物を入れ ていくことから始めて、慣れてきたころに次の製造技術をやって見せて教える。これを何度か繰り返して、10行程ほどで得意な分野がわかってきたら担当す るところを決める。客の担当も苦情も商品の管理もすべて責任をもたせている。技術屋は、見て盗み経験して自然に覚えるものなのだが、最近は、教えないと わからない人が多い。100分の1mmの技術は自分の目と感と経験だけなので教えられない。人間の指先は、平たいも床の上を触って、傷ついた何かが触っ たと思う感度は100分の1のがわかるほどすごい。それがわかるのは、経験しかない。 |
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■ 越前屋と針屋の歴史 浜坂の針産業は市原惣兵衛が、医学の勉強で長崎を訪れた際に出会った中国の唐針にある針製造技術を持ちかえってきたのが始まり。持ちかえったものの、惣 兵衛は浜坂で嫌われ受け入れられなかった。その針が、何人かの伝承者へ受け継がれ、惣兵衛埋没50年後の江戸末期に栄え始めた。 越前屋の全盛期は、針の 先端を砥石て研いでいた祖祖父の時代。越前屋が針屋をやめたのが契機で明治6年に奥田さん、岡部さん、中川さんが、明治9年に針屋を始めた。それまで は、越前屋の下加工場だった。越前屋の名称は、越前屋にいた人が来られたので名づけられたが、他にも有名な屋号がたくさんある浜坂は、隠れ郷として大き な産業の町だったことが、針製造の栄えに大きく影響している。 ■ 尖頭機と製造量 全盛期の明治時代には、浜坂に10台の尖頭機が入っていた。その後、世界の7割が浜坂にあったといわれている。上島に100台、浜坂の30件ほどが上島の下請 け工場として扱っていた。製造は、現在でも1日500万本の針を製造できるので、年間5億本〜6億本の針を作ることができる。 |
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■ 上島の土地 上島は、役場や高校や病院の土地を所有していたが、戦後すべて寄付をした。当時は300人近くのスタッフを抱え、シンガー針と業務提携が昭和26年に決 まっていたが、突然税務署より、党政令法違反・物品税令法違反で780万円を請求された。もめている間に工場が倒産。その後、現在の役場・農協・浜坂高 校・浜坂病院の土地を寄贈した。当時小学校1年生入学の時だった。現在住んでいるここの家も、砂地であることで車がよくゆれる、寿命もを感じる。家を残 してほしいという声もあるので、家は残し、住まいを移して、「ふるさと塾」を開いて子ども達と楽しく過ごしたい。 ■ 尖りもの産業 共立銀行・浜坂銀行(高利貸し)が一番儲かっていたかもしれない。 大正14年共立銀行が倒産し、浜坂から9700万円のお金がなくなり、今の浜坂がある。針で儲けたのは、父の一人勝ちである。現在、浜坂の針といえば、 上島会社とレコード針の製造会社の2件である。いずれにしても需要もなくなっている。 |
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■ これからの上島と開発商品 浜坂に鉄があったので栄えた針産業は、今衰退の方向にある。10年前に話し合ったことは、「信用と技術であと10年は食べられるだろう。10年後に何をするか。」だった。そこで考案したのが「まぐろ針」この「まぐろ針」は技術開発に約3年、商品開発に約5年かかると見込んで、約10年後の商品化を目指 して取り組んできた。ところが、近年マグロの養殖ができるようになり始めたことや、日本海でまぐろの群れを見なくなったことから、マグロ針の販売利益を 見こめず、3年ほど前に商品開発をストップした。まぐろの針に費やしてきた鉄は約60トン。まぐろの体重に耐える針を開発するために3年間かかった。 ■ 最後に 明治時代、越前屋の下請けから始まった上島の針は、現在でも、点滴針の製造を試みたり、洋服用ハンガー、下着掛けなど尖るものは何でも試み注文にも応じ ている。木工資材で針を作ることも考えた上島。ここに針産業の刻んだ歴史の歩みを見た。今後も上島の産業開発を見守りたい。 |
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