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2002年11月例会
開催月日 11月23日(土)

開催市町

日高町
テーマ 消え行く街角の豆腐屋さん
講師 中嶋 立巳 (高町江原の元豆腐屋さん)
場所 隆国寺会館 日高町荒川22
参加者 島垣・太田・高石・浜野・岩本・木村(昌)・木村(尚)・湊崎・衣川・西躰・中嶋・中田・上田・戸田・能登 
担当 中田・上田・太田・中田・能登

 

【講師プロフィール】
昭和23年、日高町江原に生れる。京都の老舗の豆腐屋「森嘉」で1年半の修業の後、父の代からの豆腐屋を継ぐ。平成元年より豆腐屋約10軒で構成する「日高大豆食品組合」の理事を務める。平成9年組合解散。

■ はじめに
豆腐は昔、食卓の大部分を占めていた。
京都の「森嘉」での修業時代、地窯を使っていたので呉が炊けてくると香ばしい良い匂いがしてきて楽しかった。鋳物の鍋の鉄分や、薪の火・灰と豆の成分がうまく調和して甘味や旨味が出た。天然にがりや使う大豆によっても味が違ってくる。地元に帰ってからはボイラーの圧力釜だった。廃業したとき心残りだったのは、薪を焚いて作ったら極端に味が変わるということを試してみたかったこと。
戦前はほとんどが地窯で、にがりを合わせるときには手を合わせていたほど豆腐作りは難しかった。
焼き物に使う灰でも、昔は料理屋さんに行けば安定したいい灰がいくらでも手に入った。窯を焚くのでも少々煙を上げても大丈夫だったが、今は挨拶して回らなければいけない。いいものを残す残さないは庶民の生活が大きく左右する。
 

若い人は、スーパーのさらっとしたのが豆腐の味だと思っている。学校給食ができてから日本人の舌が変わった。旨味のある豆腐は豆臭いと言う。いい材料を使ってこだわって作っても客に受け入れられるかどうか。がんもも上手に炊けない、品物を使いこなせない人が多いのに、現実にやり切るのはなかなかだ。
大手メーカーは製造工程を全自動にし、人件費やコストを減らして半値以下の商品を作り出した。いかに豆の量を減らして豆腐に近いものを作るかの研究をしている。しかしそういう豆腐は加熱すると崩れやすく、コシがない。食中毒が怖いので防腐剤もかなり使っている。
スーパーでいい場所を占めているのは、買い手にとって良い品ではなく、スーパーにとって利益率が良い品である。パッケージの表示と置く場所で売れ行きが全然違う。利益のある商品を店は一番前に置く。昔に比べ豆腐の大きさが小さくなったのは、今は一度に一丁も使わないし、小さくすると安くなり買いやすいため。

日高大豆食品組合の最盛期は平成3年頃。普通1日で1,000丁くらいのところを2,000丁くらい作った。販路は出石の量販店、豊岡魚市場、日高魚市場、日高Aコープなど。豆腐を量産する会社が現れて半値以下で作り始めてから苦しくなった。岡山、四国、名古屋のメーカーも進出してきた。最後にはしんどくなって八鹿、和田山にも足を伸ばした。商売は経費のかからない地元で、手渡しで、解説して、自分のエリアをきっちり押さえておくことが大事。

今、豆腐は80%がスーパーで売られ、一般小売店、個人商店は20%ほど。価格競争でいくらでも値段は安くなるが、最終的にはお客はまずい、それなりのものしか食べられないようになるんじゃないか。最後には自分たちの身に返ってくるということを忘れないで欲しい。
 

■ 終わりに
今回は、豆腐自体の消費量は健康食品ブームで伸びているにも拘らず、そう遠くない昔にどこのまち角でも見られた豆腐屋さんのある風景、その作り方、売り方、地域の人たちとの繋がりなどが時代の流れとともに消えてゆく、そんなことを再確認できたと思います。その責任の一端が私たち消費者にあるということも。

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