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2003年2月例会
開催月日 2月22日(土)

開催市町

豊岡市
テーマ 「おかき」をめぐる昔話
講師

岩本和雄(株式会社玄武堂 社長)

場所 岩本さん宅 豊岡市若松町
参加者 島垣、太田、中田、高石、椿野、木村昌、粂井、能登、中島、会員外1名
担当木村尚 岩本 西躰


おかき作りの習慣とその変遷の様子を、創業当時の苦労話や商品開発秘話、 人々の「おかき」の捉え方などを交えつつ、いろいろお話いただきました。

■ 農村とおかき
お正月と節分のお餅作りは、農家ではごく当たり前に行われていたことだった。お正月には鏡餅や小餅を、節分にはあられや「餅花木(もちばなぎ)」 を作る。農閑期の冬に作った「おかき」は、1年間のおやつとなり、蓄えたおかきを、夏の農作業の合間に食べたりしていた。
「餅花木」とは黒文字の木に小さなお餅をつけて、花の芽ように見立てたもので、今でもそれが継承されている地域、家庭もある。

■ 但馬のおかき屋と生業への移行
但馬に最も多くの「おかき屋」があったのは、昭和30年後半〜40年代にかけて。当時、但馬には35、36軒の「おかき屋」があったが、現在は4軒を残すのみ。 そのうち、50年来おかきを作り続けてきたのは、玄武堂さんと、丹波屋製菓さん(豊岡市内・ご夫婦で経営)の2軒。他2軒は、ここ10〜20年に開業。

昭和30年代半ば頃、但馬のおかき作り人口は多かった(同じ時期、京都府のおかき屋軒数は35〜45くらい)。その理由は・・・
1)戦後、食料の絶対量がな い時代、都市部よりも原料が豊富 
2)戦前、口減らしのため京阪神へ丁稚へ出た人たちが、戦後、身につけたノウハウとともに故郷へ戻ってきたことな どがあげられる。

農家の慣習だったおかき作りが、生業へと変わっていったのは、但馬の風土的な特性ではなく、戦後の物不足の中で、何とかして生きていかなければならな い、という必要から生じたものだった。むしろ、湿気が多く夏は蒸し暑い但馬の気候は、おかきを作るのにはあまり向いていない環境だったといえる。

また、戦前よりたくさんの但馬の人々が京阪神へ丁稚で出ていたということは、但馬で寒餅が商品化するよりも先に、京阪神では商売としての「おかき」が 成立していたのではないかと推測できる。創業者の岩本さんのお母さんも、小さい頃、京都で奉公していたことがあったのだそう。


■ おかきの呼び名と作り方
いずれも原料はお米(もち米)だが、ひとくちに「おかき」とっても、その形状等で呼び方が異なる。比較的大き目ーのものを「かきもち」「おかき」 (農家でよく作られている型のもの)、1〜2センチ角で四角く表面がつるっとした薄いものを「しきし」、型の小さいものを「あられ」などと呼ぶ。 また、それにあわせて、しきしを主に作っていれば「しきし屋」、あられを多く作っていれば「あられ屋」という呼び方もあった。ちなみに、小麦粉とか うるち米で作ったものが「せんべい」となる。

おかき作りの基本工程は、原料を水につける → つく → のす(延ばすこと)→ 冷ます → 切る → 陰干し・乾燥。おかきが寒い時に作られていたは、農閑期であったことと、気温が低く、「冷ます」工程が難なくできたため。夏場は、延した餅が冷えずに、 すぐにカビが生えてしまう。

■ おかきの製法、販売の変遷
昭和26年、岩本さんのお母さんが創業。最初は機械も何もなく、手でつき手で練り、手で切っていた。岩本さんは、18歳の頃から家業を手伝った。戦後の食料 統制下だったため、政府の取締りを掻い潜りながら、原料を入手した。昭和36年頃までは、もち米の入手ルートは闇ばかりだった。

商売として始めてから、製造は季節に関係なくなった。そのため、夏場の一番の難点である「冷ます」工程においては、水源地に餅の箱を沈める、豊岡から氷 を買う、山に横穴を掘る、製氷会社に冷蔵庫を借りるなど様々な工夫をし、カビが生えるのを防いでいた。37、8年頃からは、冷蔵庫の使用により、その手間が解消された。

また、生産量を増やすため、少しずつ機械化が進められた。その燃料も炭、無煙炭、コークス、電気・ガスへと、どんどん大型機械対応へと変化。全工程が完 全に手作りっだったのは、最初の頃のみ。現在、全工程を手焼きしているところはないのではないかという。もしあったとしても、たいへん高価なものなので はないだろうか、とのこと。この当時の商圏は豊岡〜福知山。

■ 消費者層の変化
戦後、おかきは子供のおやつではなく、大人の贅沢品だった。お酒のあてとして、また、隣保などの集まりごとのお茶菓 子として出されるような、高級菓子の部類だった。そのため、普段は子供の口には入らなかった。単価も高く、大人が100目、200目と買っていった。子供が 買える代物ではなかった。現在の消費者層は様々だが、味の好みについては、50代とその孫世代が、素焼きのおかきをおいしいと言い、その間にあたる世代 は空間地帯で、濃い味を好まれたりするのだそう。

 「おかき」へのこだわり
原料と技。その2つがバランスよくあわさってはじめて、良いモノになる。

原料・・・原料はいろいろ試してみたが、安定的に同じ品質の粘りのあるおいしいもち米を供給できる、佐賀の米が一番だというところへ行きついた。 農家と提携し、純国産のものだけを使っている。その米が例年10/25〜30の間に刈り取られるのに対し、但馬の米が収穫されるのは8月。かつては収穫時期は10 〜11月だったが、台風の被害を避けるために早まり、結果、但馬では成熟した米ができなくなってしまった。東北、新潟など、米のおいしいところでは、おい しいおかきを作っている。

・・・機械化の中でも、人の手、感覚でないとダメな工程がある

のりをまく・・・しょうゆの粘りでのりをつける(ガラガラ〜とあられをドラで回して、そこにしょうゆを入れる。しょうゆ自体の粘りを使って海苔 を巻く)

のす(延ばす)・・・もちをついた後、丸く整えた鏡餅状態のものを、手で棒状に延ばす(のす)。機械でするのと、手でするのとでは全くおいしさ が違う。そこはかなりこだわりの部分。

焼き加減・・・焼くところの焼き加減とかは機械でデータ化はできないし、乾燥具合も夏と冬で触り具合が違う。データ化できないから人の感覚で。 熟練の方が季節を通じて見極めている。


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