2004年4月例会

開催月日 4月24日(土)

開催市町

朝来町
テーマ 鉱石の道〜神子畑編〜
講 師 中島巧さん(元神子畑選鉱場職員)
場 所 朝来町 (みのり館 あさご芸術の森美術館 神子畑選鉱場)
参加者 島垣 栃尾 中安 浜野 和田 中田 西躰 高石 太田
水田 細見 能登 一般参加(森脇 金指)
担 当 水田 中尾 細見 能登


 誰かが、今日は例会日和だと言った。そのようだ、晴れ渡った青空に新緑の緑が眩しく、肌に伝わる風が心地よく胸一杯に春の息吹を吸い込むと思わず天を仰いでしまう。
 今日の食事はみのり館、10周年の式典もここでやった。当時を懐かしみながら、ドアを開けると、すでに何人かのメンバーが丸テーブルに座っており、他の一般客もちらほら見える。先ほどの心地よさが一転して、突き刺さる鋭い視線。
ウ、なんだこの威圧感は、そう、うすうす感づいていたのだが、遅刻をとがめる目線、痛痛痛ー。
まして、担当者なのだ、皆さんごめんなさい。
 早速に食事をオーダーする、「ええ、もう用意してますよ」、を、さすがだね、店の人は段取りが良いらしい、でも待てよ、不安がよぎる。
やっぱりだ、またしても冷たい視線が風に乗ってやってくる、うどんがのびてるような・・・「この肉なんだろう」「朝来だから鹿肉かなあ」「まさか、猪じゃないの」「なんだろうねえ」あー、カモ肉ものびてしまってたのかー。
 コホン「ネギは日本三大ネギの岩津ネギですよー」写真がないのが悔やまれる、が、得点得点と思いきや、いっそう場が白くなってしまった。「さ、さ、食べた方から美術館の方に行ってビデオ見てくださいよー」早くここから出なきゃ、汗汗


美術館の会議室にて

元神子畑選鉱所職員で講師の中島巧さん

 美術館の館長は会員の水田氏だ、「やあ、やあしばらく、今日はよろしくお願いします」「30分になったらビデオ始めるよ」、う、ここでもまだ尾を引いてたか、メンバーもその辺のことは分かっているようで、集合が早い、早々にビデオ上映。
 昭和62年作だから映像は汚い、だが写ってるものは貴重だ、なんとか今の最新技術で綺麗に復元できないかなあと思いつつ見ていると、講師の中島巧氏が到着した。例会は中島さんの意向により質疑応答形式で始まった、77歳だと言うことだけど声には張りがあり顔は艶やかでご健康そうだ。能登会員が寝ずに作ったという力作の資料を見ながら中田会員の質問から始まった。

(神子畑選鉱場の歴史等の詳細をお知りになりたい方は朝来町へお問い合わせ下さい)

 中島さんは昭和2年生まれで、昭和25年15歳の時に三菱金属株式会社明延鉱業神子畑選鉱場に入社された、当時の月給は2500円くらいだったと言う、公務員より多かったとか。
 昭和62年3月1日、鉱山(ヤマ)が90年の歴史に幕を降ろすまで、ヤマの栄華衰勢を見てきた。最盛期の30年代、神子畑の村が60戸だったのが320戸に増え、人口は1200人を超した。ヤマは3交代で、昼夜を問わず選鉱所の低くて鈍いそれでいて自信に満ちた音が村に響いていた。村人は神子畑から出る必要がなかった。映画、演劇、パチンコ、居酒屋などの娯楽施設があり、買い物も会社の購買部で他より安く買えた。野球にテニス、レクレーションにも事欠かなかった。


羽渕のめがね橋で親しまれてる鋳鉄橋

橋の美しさに茫然自失のメンバー

 神子畑で精鉱された銅は香川県直島精錬所、亜鉛は秋田県秋田精錬所、錫はとなりの生野町生野精錬所に送られた。昔は馬車鉄道で下の新井まで運んでいたのがトロッコになり、最後はトラックで運搬するようになった。その名残が今も鋳鉄橋として残っている。美術館から神子畑に行くまでにそのあたりを案内して貰いながら移動して行った。
 神子畑から現山口小学校までは下りだ、命がけでブレーキ操作をしたのだとか。たまに失敗すると車輪が軌道から外れたり、横転したりと大変だったらしい。


熱心に説明頂いた藤本事務課長

宇宙船を思わす巨大なシックナー

 神子畑では細倉鉱業株式会社明延事業所の藤本事務課長に対応して頂いた、メンバーの無理な、本当に無理なお願いにも快く応じて頂きありがとうございました。
 廃墟と化したかっての選鉱場。巨大なシックナーは宇宙船が山の斜面に激突したような印象を受ける。中に入ってみるとここは第7サティアン? と誰かが言った

廃墟好きなマニア達が写真を撮っているのでそれを参考にして欲しい
http://www.eonet.ne.jp/ ̄nishi/page.mikobata.htm
http://www.ne.jp/asahi/mining/japan/akenobe/mikobata.html
http://homepage3.nifty.com/suttobasu/akenobereport.htm
http://www.page.sannet.ne.jp/dikemoto/kamiko/kamiko.htm
http://www.geocities.jp/ja3cna/newpage9.htm

 リベット、マザーサンド、ここには意外な副産物がある。リベットとは観葉植物店で見かけるハイドロカルチャーのことである、選鉱の終わった後の泥をいかにして処分しようかと色々研究したなかに小さく丸めて灼くことをしたらしい、その結果の産物だ。マザーサンドは地下300mからの無菌砂という触れ込みで販売したこともあるとか、いまでは廃棄処分だ。もちろん好きなメンバーはありがたく頂いて帰った。
 世界に誇るノウハウを持ちながら円高の中では生き残る道を見つけ出せなかった日本最後の錫選鉱場は最後の有姿を僕たちに見せていた。5月の連休明けから解体工事が始まるらしい、僕たちはこの廃墟を見て何を感じたんだろう。
 現実は「はかない」儚いとは人が夢を求めてきたものなのに。


廃墟に写った青空がやけに眩しかった

錆びた軌道にナズナの可憐な花が