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2003年11月例会
開催月日 11月22日(土)

開催市町

香住町
テーマ 余部鉄橋秘話
講師 下田英郎(浜坂町在住・元国鉄職員・歴史研究家)
場所 余部生活改善センター
参加者 島垣 太田 中田 能登 藤原次 栃尾 浜野 中安 高石 木村尚 中尾 西躰 木村昌 友田 戸田 衣川 粂井 (会員外3名) 
担当 衣川 太田


いつもと集合時間が違い11時に現地集合、この日はウラニシ(北西風)が吹く寒い日だった。
余部の海は見事なぐらいに荒れ、どんよりとした鉛色の空に時々さす陽の 光に、岩を砕いた浪の花が白く舞い散っていた。

日本海の波しぶきを背に受けながら、狭い余部の路地を駅に向かって歩き出した私たちは、口々にヘー、凄い、こんな上に駅舎があるんだなど言い ながら、いつのまにか段々畑の中を登っていた。良く見ると駅舎へのアプローチは何カ所かあるみたいだ。北斜面から登っていき、鉄橋の下をくぐり、南側に廻り、駅舎に到着する。そのちょうど鉄橋の下あたりでみんな口々にしんどいを連発しだした。一緒に登ってる下田先生が一番ご高齢なのに元気だ。但馬学も運動不足だなあなどと言っている間はまだ大丈夫みたいだ。

登り切った所に当時ホームを造るのに餘部の住民みんなで石を持って上げた様子が描かれたコンクリート壁がある。その先に餘部鉄橋を撮影する定番の位置の登り口がある、皆一様に写真を 撮ってはいるが、汽車は来ない。駅舎のホームは山側(南)片方だけだ。

それにしても凄い風だ。下ではそんなに感じなかった風も40m登っただけでこんなに風が強く感じられる。誰ともなく鉄橋の上を歩き出した。 良いのかなあ、と思いつつも、歩きたい誘惑に負けてしまう。区長さん曰く、昔はここを渡り、トンネルを潜って鎧の駅まで行ってたらしい。機関車が横を通るときなどは風がものすごくて、その場にしゃがみ こんでたとか。わかるなあ、今日の風に、機関車の通り過ぎる風が加わるとなると、想像だにしたくない言語に絶する物がある。 高さの恐怖心よりも強風に対するおびえが足をすくませる。

やっと鉄橋の東詰に到着し、トンネルの中に避難しようと入ってみたが、なんとトンネルの中も風が強い。 さらに100mほど行くとトンネルを抜け、日本海が一望できるが、ここは風が全くない。風の吹くメカニズムに改めて感心した。この先にもう一つトンネルがある。さすがにそこまでは足を伸ばす勇気はなかった。ここに強風時の通行禁止の信号がある、この信号を確認してトンネル内で 止まるようだ。

帰りはどのあたりが風が強いかと言うことが分かっているので心に余裕がある。余部鉄橋は11本の橋脚で出来ており、東から1号と名付けられている。この橋脚はアメリカの費府(フィラデルフィア)から運ばれてきて、明治 43年の8月、海の穏やかなときに、この入り江から艀で陸揚げされたものだと言う。ちょうど4,5号橋脚のあたりか、真下を覗き昭和61年の事故を思い起こし、不埒にも鉄橋の上から冥福を祈った。以外にも枕木は統一間隔で並んでいない、中には真新しい枕木もあるが、腐りかけた物もある、さすがにこの上は歩きにくい。線路の上は、やはりダメだ、風で身体が平衡感覚を保つのが難しい、その 線路の中にもう一本線路がある、これは護輪軌条(ごりんきじょう)と言 って車輪が線路から外れない効果があるのだとか。縁を歩く人間用にも金網がライフラインになっている、これは以前よりも 高くしたらしい。 風速計が気も狂わんばかりに廻ってる。
今日の食事は民宿川戸屋さんでお世話になった、シーズンなのでカニご飯でお持てなしして頂いた。 例会場所になった余部生活改善センターは海の真ん前で、2階の会議室の窓からその荒れ狂った日本海が一望できた。区長さんにお世話になり、明日の文化祭で準備に忙しい中、会場をお貸し頂いた。

例会中も日本海の荒波の音が凄い、時々鉄橋を渡る列車の音に興味が湧く。講師の下田先生はお年に似合わず、声に張りがあり、浪の音、列車の音に 負けていない、しかも長年研究されてるだけあって、年号から、人名、地名など宙でお話しされる、しかも黒板に描く漢字は旧漢字だ。この鉄橋を造るにあたり、多くの犠牲者が出たこと、また近隣の街まで潤ったことなど建設当時のお話しを聴く中で、桃観トンネルの煉瓦造りは当 時の鉄道院総裁後藤新平書の石額がはめ込まれており、この様式は現在では、全国で10数カ所しか残っていない話は、興味をかき立てられた。また岡村技師のこの余部鉄橋に掛ける情熱はなみなみならぬ思いがあり、下田先生は山口県まで出かけられ、直接岡村さんにお逢いされ、取材され たそうだ。

余部鉄橋のすべての始まりは、鳥取、和田山間のルート決定の際に端を発する。
和田山→養父→大屋→若狭→鳥取コース
和田山→八鹿→関宮→氷ノ山→若狭→鳥取コース
和田山→八鹿→現9号線コース
和田山→豊岡→現178号線コース
そして現在のコースと机上に上がっており、人口、観光、物産、産業等を考慮し現在のコースに決定されたらしい。

例会終了後改めて鉄橋を見上げると、その高さは今まで以上に大きく、そして人間の英知と勇気に感動せざるを得なかった。

追記 車が波しぶきをたっぷり受け、べとついてた。餘部の人は大変だ。

※例会資料「T2vol48 余部鉄橋」「余部橋梁秘話」「鉄道名橋見て歩き」「餘部橋梁」「読売新聞但馬版記事(2003/5/31)」 「餘部鉄橋新橋検討に至る経緯」

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