ホーム > 例会報告 > このページ


2004年2月例会
開催月日 2月28日(土)

開催市町

村岡町
テーマ 豪雪が育んだ但馬人気質   村岡町柤岡(けびおか)
講師 岸本肇、岸本静子、岸本ちづこ、岸仁、岸綾子、田中とみえ、宅見じゅんこ
場所 柤岡スキーハウス
参加者 島垣 太田 中田 能登 浜野 中安 高石 西躰 戸田 衣川 藤原博 
担当 浜野 藤原博 中安 太田


集合場所が村岡町役場と言うこともあって、蘇武トンネルを超えて来るメンバーが多く、但馬が近くなったねえと話が弾む。外気温12度と春の陽気を思わす絶好の例会日和、でも今日は本来大雪でいて欲しかった。

国道9号線長板の交差点から小代谷方面に入ってから右折して柤岡に向かった、このルート
は藤原h会員のお薦めコースらしく、但馬の原風景を彷彿させる。但馬のチベットと言われてもおかしくない風景が目の前に広がる。圃場整備のされていない千枚田。旧道の細い曲がりくねった道だ、雪はやはり少ない、今年は特に少なかったらしい。4台に分乗した車が九十九折りの道を進む。村にはいるとヘアピンカーブの連続だ、道の下にさっき曲がった家の屋根がある、ここは
まるで棚田のようになった集落なのだ。柤岡の謂われはケンポナシ( クロウメモドキ科ケンポナシ属の落葉広葉樹)がたくさんあったからところから来てる説が有力だ

標高450M、ほぼ村の奥に今日の例会場所柤岡スキーハウスがある、その石垣の下に車を止めて、改めて今来た村を見ると、東を向いた絶好の斜面に村が展開している、向かいの山から登ってくる朝日が照らす光景が何ともいえないと言う。

木造2階切妻作りの雪国ならではのがっしりした造りだ、「柤岡スキーハウス」と言う看板も妙にしっくり来ている、でもこの近くにはスキー場がない、戦後神戸大の学生がまだ但馬に本格的なスキー場がなかったころ、雪質の良いこのあたりに山スキーに訪れてたころの名残らしい。いまではここの奥さんの手料理を楽しみに来る人が絶えないとか。
 

中にはいると欅の大黒柱が雪の重みを一心に支えて来たのだろう、いかにも堂々とした風格をみせており、囲炉裏にかけた鉄瓶から沸き上がる湯気が心暖かい。

野菜具だくさんのみそ汁、零余子ご飯、春の七草芹が入った白和え、わさび和え、ヘシコ高野の粉で炊いた大根(一見おからかと思った)、自家製のおつけ物岸本さんの零余子ご飯野お変わりをどうぞと言う声に、遠慮を知らない会員は我先とおかわりをしている。例会でご飯のお代わりは初めてではないだろうか。この地方では高野の粉はいろんな料理に使われて重宝しているらしい、なんか久々に日本食を食べたなあと一同感激の様子

さてお話は炬燵と囲炉裏を囲んで自己紹介から始まった。昔はとにかく雪が多くてたとえようがないのだそうだ電線ちかくまで積もったので、子供達に危ないから電線をつかむなよと言い聞かせたり、日に何度となく屋根の雪下ろしをしなくてはいくら太い大黒、柱でももたない。それでも柱は雪の重みで東南に倒れる、雪の解け具合と村の構造上どうしても北西からの雪の重みに負けてしまう。部屋の中でひどい所は障子の桟の上下で10センチも違うところもある。
 

男達は秋の収穫が終わると、出稼ぎに行く、酒屋にも言ったそうだが、奈良や満州、大阪のちはや豆腐(高野豆腐)作りにも出かけた。その関係か高野豆腐にまつわる料理が多い。

男達が出かけると、女達の冬支度が始まる。茅で雪囲いを作り、食料の確保をしていく、普段から冬のための食料は保存するように努めていたらしく、ヘシコなども当時は作ったらしい、大根や白菜はもちろん生であるがその他の物は塩漬けや、ぬか漬けなど工夫してたようだたまに猟師が獲ってくるウサギ、タヌキ、ムジナ(あなぐま)などが貴重な動物性タンパク質であった、とくにウサギ鍋やウサギご飯は美味しかったらしい。たまに隣の湯村から行商が来たらしいが、魚が古くよくあたったのだそうだ

年寄りは藁を編んで、草履、長靴、蓑、筵を作り、牛の世話をし、嫁は機織りをしながら、長い冬を過ごしてきた。子供達は大雪でも外で遊び、家の中ではお手玉や双六に興じていた。実は親父のいない冬は嫁と 子供にとっては天国なのだ。


雪解けになると木出しが始まる、手間替えと言って村の女衆が総出で手伝う。雪を上手に利用して山から家の建材に使う材木を切り出してくるのだ、女衆は唄を歌いながら、ヒビ油を木に塗り引っ張る。そしてもうじき帰ってくる男達を思いながら歌う。

春、男達が出稼ぎから帰ってくる。家族総出で国道淵の長板バス停まで迎えに出る。雪焼けで黒くなった女達の顔に笑顔が溢れる。この村は2,3月生まれが多いそうだ、ちなみに9月生まれは皆無に近いとか。男手のない時に女性達だけでお産をしてきた。屈託のない笑顔で話すおばあちゃん達を尊敬せざるを得ない。例外なくこの村も少子老人化で空き家が目立った来た。それとともに村の風習も消えていく。このお年寄り達の明るい笑い声はいつまで続くのだろう。

ホーム > 例会報告 > このページ