| 開催月日 | 10月28日(土) | 開催市町 | 新温泉町 |
| テーマ | 畑ヶ平(はたがなる)開拓の歴史と奥八田の暮らし | ||
| 講師 | 植村哲(さとし)さん (専業農家) | ||
| 場所 | <会場>青下公民館(新温泉町青下)、<現地見学>畑ヶ平高原 | ||
| 参加者 | 峠、能登、木村、中田、戸田、小川、高石、成田、西躰、藤原じ、浜野、友田、向井(会員外) | ||
| 担当 | 木村、能登、友田(記録) | ||
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鳥取県境の蒲生峠の手前で国道9号から分かれ、扇ノ山(おうぎのせん・1310b)から流れる岸田川に沿って南へ上って行った地域が奥八田(おくはった)である。奥八田小学校・上山高原ふるさと館を過ぎ、道標に従って右折して進むと、やがて青下(あおげ)に着く。上山高原に至る急な山を背にした段丘状の平地に集落がある。 今回はお宮の境内にある公民館を会場に、夏大根を畑ヶ平で作る専業農家の植村哲さんのお話を聞き、植村さんの案内で畑ヶ平の開拓地を訪ねた。また上山高原エコミュージアムの代表で青下区長の小畑和之さんにいろいろアドバイスいただきお世話になった。 かつて畑ヶ平はブナの原生林で山が深く険しく、たやすく里の人を寄せ付けなかったが、ただ木地師にとっては深山だけが生活の舞台であり、その足跡が見つかっているという。 | ||||
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■畑ヶ平と開拓の歩み ♪天下になる畑ヶ平 かいびゃく以来のぶな林切り開くべきときが来た これぞ八田の生命線 植村さんはかつて歌われた畑ヶ平開拓の歌を口ずさんだ。畑ヶ平は海抜約1千メートル、西は扇ノ山、東は仏ノ尾(1227b)・南は青ヶ丸(1240b)の山々に囲まれた鳥取県に接する高原だ。岸田川沿いで最も奥の集落である霧滝・菅原から幅3メートルほどの林道を約5キロ、標高差で500メートルほどの急峻な谷を登りつめる。冬は2メートルを超える雪が普通に積もる。 畑ヶ平は昭和7・8年ごろから当時の八田村によって開拓の構想が立てられ、戦後の昭和22年に9家族11人(和光開拓団)が、25年に11家族12人(森里開拓団)が入植した。人力のみでブナなどの大木の伐採に明け暮れ、高冷地のため思うように作物もできなかった。当時は作ったハッカや野生のすずたけなどを売っていたが、厳しい生活に昭和28年をピークに離団者が相次ぎ、両開拓団は消滅してしまった。 その後馬鈴薯・イチゴなどを地元の農家が登ってきて作っていた。馬鈴薯は種芋として淡路島などに売っていた。イチゴはアメリカからの輸入によって値が半額ほどに下がった。 このため昭和51年、鳥取県側に広がる広留野(鳥取県若桜町)で大根を作っていた小谷会長の指導を受け、植村さんら3戸が夏大根の栽培を始めた。現在は地元の5戸の農家が生産している。 開拓団が開いたあたりを「きばたけ」と呼び、さらに高いところに第1団地、第2団地を切り開いた。面積は合わせて20ヘクタールほどあり、国有地の払い下げを受けた。 | ||||
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■夏大根の専業農家 植村さんは大阪の高槻で会社に勤めていたが昭和50年にUターンし、畑ヶ平での大根作りに新たな人生を賭けた。39歳のときだ。青下から畑ヶ平まで約10キロ、車で45分かけて、息子さんと二人で通う。きばたけ・第1・第2団地に合わせて4ヘクタール作っている。雪が消える5月半ば過ぎに畑をトラクターで耕し、6月5日ごろから種を植え付ける。種を蒔くのではなく種を貼り付けたテープ(シーダテープ)を使う。 8月になると収穫が始まる。まだ真っ暗な朝2時半から8時まで大根を手で引く。両手で2本を一度に引いていく。1日に息子さんと二人で7千本引く。8時になって雇った10人が小型マイクロバスで到着すると、夕方5時までいっしょに大根を洗い梱包し出荷する。 この仕事が出荷を終える10月半ばまで続く。きばたけの中央に数戸の作業小屋が建ち、ここで大根を洗う。冬は雪で埋まってしまうためか、頑丈な作りだ。 畑ヶ平の大根は神戸と京都の市場に出荷している。植村さんは昔からの馴染みで京都だ。かつて夏大根が高値のころがあったが、今は北海道産が出回り、競争が激しい。でも「畑ヶ平の大根」とひいきにしてくれる得意先がある。形の悪い大根も値は落ちるが加工用に引き取られるので、すべて出荷する。 10アールあたり5千本作るので、4ヘクタールで20万本生産する。仮に1本100円で売るとすると粗収入2千万円、ざっと5戸で畑ヶ平は1億円を産む。 | ||||
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■高原の水 畑ヶ平の高原は一面の大根畑だが、周辺や少し低いところはブナの林だ。かつては高原全体がブナに覆われていたことがわかる。畑ヶ平の高原のブナ林を歩いて気付くのだが、あちこちで水が湧き、小さな流れとなって北へ下っていく。ここは岸田川の源流なのだ。 大根を作るのに散水はしない。植村さんは「大根を作るには日照りのほうがいい。必要な水分は土の中から供給される」と言う。ブナ林を切り開いた開拓地だが、それでも周辺や高原に残るブナ林が水を豊かに蓄えているのだろう。高原から南西へ下ると鳥取県だ。水は鳥取市に流れる。 ■上山高原エコミュージアム 畑ヶ平から周囲の扇ノ山・仏ノ尾・青ヶ丸は近い。なにしろ標高差で200メートルあまりなのだから。1時間も歩けば登れそうな距離だ。扇ノ山はここからの登山道がある。しかし仏ノ尾と青ヶ丸まで直線距離で1キロあるかないかだが、「日本海側の山特有のスズ竹がびっしり生えていて、雪のない季節はとても歩けない」と、ここを歩いたことのある加古川の向井さんは言った。扇ノ山は扇を広げたように見える南北に連なるなだらかな山容から名付けられたという。火山であるが、基盤は堆積岩で溶岩・火山岩は薄く、畑ヶ平は神鍋山のようには土は黒くない。四方にいくつかの高原状の地形が広がり、やがていっきに急峻な谷へ落ちる。畑ヶ平は東、上山高原は北に位置する。 奥八田は岸田川と支流の小又川に沿った二つの大きな谷が刻まれ、上山高原がその真ん中にある。いわば上山高原は奥八田のシンボルといえる。この上山高原や麓の村々など奥八田地域を「まるごと生きた博物館」ととらえ、平成16年7月にNPO法人・上山高原エコミュージアムが設立された。 イヌワシやツキノワグマなど貴重で多様な生態系を育む自然を守り、復元・育成して次代に継承すること、自然の循環の仕組みや自然と共生してきた人々の暮らしに息づく知恵を学ぶことを基本に、地域内外の交流を促進して元気な奥八田をつくることを目標にした住民活動である。 上山高原ふるさと館を拠点に「明治の水路を歩こう(霧滝〜青下・わさびの植え付け収穫も)」「扇ノ山新緑登山」「きのこ観察会(畑ヶ平)」など、多彩な自然体験プログラムも実施している。 |