1990年10月例会

開催月日 10月27日(土)

開催市町

豊岡市
テーマ 軒先きと街並みの表情 「まちなみたんてい団」
講 師 丸山利典
場 所 但馬文教府

■ 「まちなみたんてい団」活動の動機 
古いものから そこに込められた心を残したい「建築士としての役割を果たしているだろうか」という思いと、平成6年に予定されている但馬の祭典や但馬理想都構想、全国的な村おこしなど開発型プランによる危機感があり、“以前からあった資産的なものがなくなる”というあせりが、「まちなみたんてい団」の活動を始めた動機です。

古いものを取り壊して新しいものを造る、新しい土地に新しい建物を造るのも、周辺の環境などを破壊するところから始めるのが建築で、そこにあった景観のバランスなど壊してから始まる。自分たちはそれを真剣に考えていなかったのではないか───ということもあって、自分たちの住んでいる町にどんなものがあるかチェックし、新しく造る物は、以前より「少しでも良い景観でありたい」という願望がありました。

私たちは常に新しいものを造っていくのが仕事で、古い物を残すことは本位ではない。古い物から「そこに込められた心」を引き継ぎ、その時代に合った新しい形態なり、次の世代に渡すような心意気を引き継ごうという気がしてきました。

但馬の家づくりに自然に対する謙虚な姿勢が 開発には自然との共生を心の部分ですが、財政的に貧しかった背景もあり、石一つを積むにせよ、家の軒先の風情なども、但馬には自然や人に対して謙虚な風情がある。現代の開発は自然に挑みかかるが、但馬本来の姿は、自然の軒先を借りて「住まわしてもらっている」という風情が多い。但馬も今後5年間、開発に向かって行くなら、細かな神経を使ってほしいと思います。

枠にはめてつくるのは教育も土木・建築も同じ曲がったりいびつだったりするのが自然だが、開発の手法は、二次曲線とか数学的な線に押し込もうとする。木や川、土地も直線的なものはあまりないが、無理に直線のように簡単なものにしようとしています。大きい物を引っ張り上げたり乗せられないから、小さい物を積み上げ物を大きく造っていく。

竹田城の石積みのスケールは大きいが、一つずつ積み上げる人の気持ちが分かります。最近では突然大きいものが出来る。人間に与える知覚的な影響が変化しているように思います。新しい工法や時代に合ったものを造るわけですから、古いものをそのままというのは無理があるし、私たちも良いとは思いません。でも、心の部分を引き継いで行くことは可能です。建築・土木のハード面も教育も同じで、枠をはめた開発手法を取っているわけです。

■  地域のよさは何処へ 
利便性が生んだ地方文化の喪失〜消費者の好みと建築家の責任放棄建築に携わる者は、その地方が引きずってきたものを次代に繋かなくてはならない。プレハブ(決して悪くはないが)に代表されるように、日本全国画一的なものが出始めました。デザインなども便利で、窓をデザインしたものが市販されており、取りつけるだけで見た目は華やかです。消費者がそれを好んだ結果、日本国中同じ表情の家が多くなっています。町家もそうで、出石が注目されていますが、整備が進むにつれ、よその悪い部分を参考にし始めたのではないでしょうか。映画村や江戸村に近くなり、出石にある詳細な部分の違いが表に出ないようになると困ります。昔風とか江戸風、宿場町風はすでに蔓延しています。肝心なディーテイルを掘り下げなかった気がします。専門である私たち自身が放棄している、逃げている部分があるように思います。

■ 古いものから学び 
現代性を肉づけする役割が養蚕農家は今後出来ないし、そのまま受け継ぐことは出来ないが、その中から吸収し、現代性を肉づけすることが必要です。資料が現存しているから自分で処理し現代性を加味していく。既製品の渦の中にいると流れが分断されてしまいます。但馬残ってきた形態を繋いでいけないのは建築だけではない。但馬の祭典などプロジェクトもそうで、前に進むことは素晴らしいが、頭越しに進むのは不安が残ります。地元にある物で過去から未来へとつなぐ部分を寄せ集め、ふさわしいものを創り出して行くことが必要だと思います。