1991年3月例会

開催月日 3月23日(土)

開催市町

豊岡市
テーマ 但馬ごころ、ふるさと会議
講 師 長谷川誠資 (園田学園女子大教授)
パネルトーク 田中多実子・加芝輝子・清水恵美子・門本フサエ・田中幸子
場 所 八鹿町老人福祉センター
担 当 浜野 西村m
長谷川誠資氏講演
■ 今、価値観転換期にある―
物から心の豊かさへの転換期にあるー
昭和42年から45年まで但馬に居た。その頃は但馬開発というのが大きな願望だった。当時の但馬は阪神間に比べると三割程度、経済水準が低かった。心の豊かさへの願望が物の豊かさの願望と並んだのが昭和54年です。食・住・衣の生活で重視するのはという統計では、昭和30年位は食、その後が住です。そして昭和58年に余暇、レジャーが一位になる。そしてお金 の使い道は昭60年までは貯金が多かったが、その日その日を充実させるに変わってきた。

戦後、金儲けに走って、40年、ここへきて、考え方が変わってきている。物の豊かさから心の豊かさへ、経済第一よりも生活重視へという考え方です。いわゆるリゾート法です。今までの経済重視の中でのリゾート法でゴルフ場やヨットハーバーを作る。儲かるというのは今までの40年の価値観で、本当のリゾートはこっち側に充実です。

そこでどんな暮しを私達は求めているのだろうかと考えるのは今だと思う。そこで但馬は変化がにがてだった。幸いに変化がにがてだってことが、今になってみると、何か、良いものが残っているかなという感じがあると思う。但馬は置き去りにされがちだったところがあった。そのおかげで本物の暮しが残っている。そして経済的にも遅れていたのがあったが、ここにきて、ある意味で追い越している感じがします。農家の生活水準が高いんです。そういう本物の暮しみたいなものがあるように思う。植村直己に代表されるような、但馬の人のあり方が。「家族」「夫婦」など、家というものの崩壊があって、ずいぶん、分からなくなってきている。

● 年寄りと子どもとの接触が必要。
● 但馬の自然、山、虫に触れ合う。意識してやる必要がある。
 
パネルトーク 朝日新聞「但馬エッセー」に投稿された方々

■ 田中多美子さん 「浜坂町にありがとう」
但馬での新生活。東大阪から浜坂に移り住んで2ヶ月。
昭和54年に新聞の記事から浜坂を知る。その頃は商売をしていたので、一生を都会で終えるのではなくこういう静かなところで暮したいと思っていた。最初に友達になったのは子ども達とお年寄り。海と魚と温泉と人情。

■ 加芝輝子さん 「夕焼けの主人公どこへ」
但馬の民話と行事を伝えたいと集めている。35年間小学校の先生。子ども同志の遊び、自然に親しむ遊びがなくなってきている。こどもが育つには自然での中での遊びが大切、戦中戦後は貧しい。お米が大切だった。物の無い不自由さを感じた。そして今の豊か過ぎる時代になった。こういう社会が変わったことが悪いとばかりは思いません。戦中戦後の時代には女性は朝から晩まで自分の時間が持てなかった。今は家事が電化されて女性は恩恵を受けている。その反面、失ったものが多い。方言・わらべ歌・昔話し・民話などから、その中に込められている願いを読み取る。

朝夕の挨拶・農村などにある神を祭る行事(自然を守る)などを歌や本や絵本にして残す。方言を大切にしたわらべ歌や民話を残したい。
「ほたるのうた」
ほ、ほ、ほたるさん、山吹のあんどにかくれて、灯をともせ。
ほ、ほ、ほたるさん、みのきて、かさきて、ちょうちんともして、おいでんか。

■ 清水恵美子さん「楽農園を開く」
義母の二度童(老人性痴呆)がきっかけで、ご主人と「楽農園」を開く。子ども達が人として自由に生き物を触れ合う場所という意味で農という字をつけた。自然の中で牛やチャボなどと親しんだり、遊んだりしながら、心を癒すのが良いと教育無料相談をしている。動物が放し飼いになっている。自然の中で遊ぶことで育つことが良い。登校拒否児とか、教育の現場での悩みなどの先生とか親とかの相談。自然の中で生き物のありのままの姿を知ることで育つと思う。夫の単身赴任などの寂しさで義母の二度童が進んだのではないかと思う。老人の方が来られることも多い。

■ 門本フサ枝さん 「地蔵様前に心は語り部」
30年間、小学校の先生だった。小学校に勤め初めて2年目の頃、自分の教え子が子どもらしい素敵な詩を書いた。その詩が新聞で特選になった。その詩の評を書いてくれたのが出石の遠井先生で「この子は但馬を開拓された天のひぼこに勝るとも劣らない。但馬人の気概がみえる」と激賞された。私は特選を貰ったことだけに喜んでいて、遠井先生の言葉「但馬」に気付かなかった。あの時、「但馬」というものを意識したら、学級全体で「但馬」や「ふるさと」を意識する機会になったのではと、これは苦い経験として思い出します。祖父が牛の草刈をして、帰ってきた時に語り継がれた話を聞くのが好きだった。その時の楽しい思いや村への誇りが教師なってから、子ども達を連れて、糸井の桂木、竹田城に行き、そんな話をするようになった。卒業した子ども達がその時のことが一番楽しかったと言う。ある民話を本にしたら、皆の目に触れて、あちこちで話が出た。そんな本作りができると良い。

■ 田中幸子さん 「故郷の町もう遠い昔に」
生野の生まれ。現役の中学の先生。前田順行の話。地域開発。雪が降ると世界が小さくなる。今の子は忙しくて、遊ぶ時間がない。中学校では部活などは土日まで潰してやってます。昔は盆踊りなどの行事があり、一ヶ月前から村の世話役のおじさんが先だって練習などを一緒にしてその当日が来るのをワクワクして待っていた。遊びも大きな人達が群れを作ってごっこ遊びなどをしていた。ですから知らない子なんてなかった。
今の子は家の中に閉じこもって、ファミコンしたり、テレビを見たり、建物の中にかっちり納まって遊べない。子ども同士の会話がプツプツ切れてしまう。心の温もりのある会話ができていない。それは世の中が忙しく、せわしくなってきたせいなんでしょうが、今の子ども達に昔の遊びを押し付けるわけにはいかない。では今の時代に合った遊びは何かというのがわからない。画一的に与えられたものの中に子どもが乗せられていて、今の子ども達は可哀相に思う。私達の子どもの頃には原体験というものが非常に生きていたと思う。