| 開催月日 | 11月30日(土) | 開催市町 |
日高町 |
| テーマ | 但馬の嫁話 | ||
| 講 師 | 原山 よし 長谷川 通子 岡本 ヒサエ | ||
| 場 所 | 隆国寺会館 日高町三方 | ||
| 担 当 | 西村 中田 | ||
日高町三方地区での嫁に関わる話をお聞きした。 ■ 嫁入り 嫁入りの光景 嫁入りの日には、こんな山深い村によう嫁にくれたと村中の人が出迎えてくれた。嫁を迎える家は朝から用意が大変で終日落ちつかなかった。 嫁は夕方に新郎側の近くの親戚で、一旦休憩を取り暗くなってから嫁入り した。タクシーで近くまで来て親戚から少し歩いて嫁いだのだろう。 当時はホテル等も無く挙式、披露宴も自宅で行い子供が巫女の代役をはたしていたと思う。披露宴は深夜まで延々と続いた。 交通手段としては自転車しか無く途中で帰宅できなかったのではないだろうか。 |
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嫁入り道具 昭和の初めから戦後の初期までは、物の無い貧しい環境のなかで親は わが娘に十分な嫁入り道具を用意する事もかなわず仲人が両家が互いに顔が立つように結納、持参金について調整した。実態は裸一つで 嫁入りしたようなものであった。嫁入りに伴い、そのお披露目に菓子を 配った。菓子もなかなか手に入らず苦労した。 ■ 嫁の一日 当時は、掃除機、洗濯機、冷蔵庫、ミシン、炊飯器、ポット、 スーパーもなく一日が眼がまわる程多忙だった。朝早く起き出し朝食の用意 子供の世話 親の世話、牛の世話、田畑の仕事、洗濯、昼が来る、すぐ夕方になる。夕食の用意、風呂の用意 風呂に燃やすタキギの用意、縫い物。 我々が日ごろ言っている時間がないという次元でなく、嫁たちは超多忙 な日々を過ごしていたのだろうか。 夫が兵隊に取られた時は、一家の大黒柱でもあった。 エアコンなんて勿論なくて暑さ、寒さに耐えながらの生活の連続だった。 水道も無く何もかも手仕事で重労働だった。 ■ 嫁の楽しみ 娯楽 テレビ、ラジオ、映画館、本屋等もなく子供の成長やたまに村に来る芝居の見物、蓄音機でレコードを聞いたり、日待講、月見講、伊勢講で皆が集まり貧しいながらも オシャベリが娯楽だった。 なかなか実家に帰る事 もできずそんな生活の余裕はなかった。 ■ 今思う 今 振り替えって 最近は、村で生まれる子供の数が減ってなかなか跡継ぎがいないので心配している。一人っ子の時代でなんとなく寂しい思いをしています。嫁への話が仲人さんより持ち込まれた時は、嫁入りすれば家の中の事 さえすれば結構だとの話でしたが、実際はそれどころではなく 慣れない百姓仕事の連続で苦労の毎日でした。 寄れば 仲人のうそ八百 なんて言って笑い話になってしまいました。 |
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