| 開催月日 | 3月28(土) | 開催市町 |
八鹿町 |
| テーマ | 「ああ但馬牛」 但馬牛の今昔・そして未来 | ||
| 講 師 | 西浦鼎氏(郷土史家) | ||
| 場 所 | 井上久雄さん(畜産家、美方町和牛振興公社 代表取締役) | ||
| 担 当 | 栃尾、田渕、足立 | ||
■ 「農宝」としての但馬牛 但馬地方の農家では、古くから牛が飼われてきた。農耕のための使役牛として活躍するだけでなく、一年に一度生まれる子牛は農家の経済に大きな恩恵をもたらした。まさに農家にとっては宝であり、母屋玄関横のマヤで家族同様大切に飼育されてきた。「良牛は良い土地柄と良い系統から産まれ、正しい理解と深い愛情により育つ」といわれる。良牛とは、よく働き多く儲けてくれる牛である。儲けてくれるから牛が好きになり、より愛情を注ぎ努力もする。この好循環の歴史が優秀な但馬牛を育てた。 |
![]() |
|
■ 但馬牛の歴史と特徴 今から約1,200年前に編纂された『続日本記』に「但馬牛、耕耘、輓用、食用に適す。但馬は古来牛を愛育し、良畜を産す」と書かれ、約 700年前の『国牛十図』には「骨ほそく宍かたく 皮うすく腰背まろし 角つめことにかたく はなの孔ひろし 逸物おほし」と記述されている。また、中世では豊臣秀吉が大阪城築城の際に全国から牛を徴発したが、但馬牛の役能力を最優秀と認め特権を与えたとされている。 ■ 前田周助と蔓牛 但馬地方では、古くから和牛の優良形質の維持、改良、固定に努めてきたが、特に長年他地域との交配を避ける閉鎖育種の方法により改良を重ね、受け継がれた血統から但馬牛の優秀な形質が生みだされた。その中で特に優れた系統を「蔓」、その蔓に属する固体を「蔓牛」と呼び、市場においても一般の牛より高値で取引きされた。但馬における古い蔓として、今から約 150年前に美方町(旧小代村)の前田周助(1797〜1865)によって創成された「周助蔓」がある。 美方郡東部では、周助蔓を主流とする「あつた蔓」、美方郡西部では「ふき蔓」、城崎郡では「よし蔓」、出石郡では「いなきば蔓」、養父郡では「やぎだに蔓」がそれぞれ造成されていった。中でも代表的な「あつた蔓」の特徴は、・体が小型で締まりがよく、品位に富む。・骨が細く、骨味が良い。・被毛皮膚が柔軟。・角質、蹄形、蹄質が良い。・耳締まり、尾締まりが良い。・毛が色良く、繊細で密生していることである。一方「ふき蔓」の特徴は、・体の均称が良く、体積に富む。・毛色、毛質、皮膚が良い。・骨味が良いことである。 同じ美方郡でも春来峠を境に東部、西部で別々の蔓が発達していった。あつた蔓の指定種雄牛であった「田尻号」の祖先に「中土井号」、ふき蔓の指定種雄牛であった「茂福号」の祖先に「熊波号」がおり、それぞれ「中土井系」(通称・土井系)、「熊波系」(通称・波系)と呼ばれ、それぞれ改良が進められていった。 |
![]() |
![]() |
|
■ 但馬牛と霜降り肉 神戸肉や松阪肉で有名な高級霜降り肉は、但馬牛の子牛を素牛として丹波地域や三重県などで肥育されたものである。脂肪が筋肉の中に細かく入り、これが鮮紅色の筋繊維と交雑してクッキリ鮮やかなサシとなる。ではなぜ、農耕用の使役牛であった但馬牛がおいしい霜降り肉になったのか。 それは、谷間がなまって「但馬」になったといわれるように、狭く小さな田んぼで仕事をさせるには大きな牛では都合が悪く、改良上より小さな牛を選抜・淘汰してきた。同じ動物なら筋繊維の数も同じであり、体が小さく締まりがよいほど筋繊維も細かくなる。厳しい冬の寒さから被毛はより細かく、自ずと密生していく。農家は朝夕の放牧で露に当てさせ、深い愛情でマッサージを繰り返し、しだいに皮膚被毛を柔軟にしていったと考えれば、一応の理屈はたつ。 しかし、科学的な根拠はともかく、長い歴史の中で但馬人の暮らしやしぐさがつくりあげた貴重な遺産であることには変わりない。 |
|