| 開催月日 | 1月25日(土) | 開催市町 |
豊岡市 |
| テーマ | 「あきんど物語」 〜リヤカーの通う道〜 | ||
| 講 師 |
小島 義一(元小・中学校長、郷土史研究家) 絹本 初枝〔海の幸を乗せたリヤカーを引いて60年〕 |
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| 場 所 | 豊岡市 気比公民館 | ||
| 担 当 | 西村 中田 | ||
■ 「但馬は渓間」 ―さかなの道、宇日谷 但馬海岸の僻村より城崎温泉街への生活道 温泉街湯島の続きに桃島という部落があり、村を離れて渓流に沿って北西に向かうい、タヲの山頂きを越すと竹野村宇日部落に達する。この谷を「宇日谷」といい、この渓谷みちは、山陰線開通〔1909年〕までは宇日部落の人達が日本海の魚介類を運んで、湯島温泉街に搬出した生活の道であった。 この人達は歩荷(ぼっか)行商人であり、籠を背負い、天秤を担いで5里の山坂を、小さく低いタヲを往復して城崎温泉に行商した「みち」であった。 ■ 「海の幸を乗せたリヤカーをひいて60年」 絹本 初枝 明治41年3月18日気比に生まれ、20歳で同部落絹本家に嫁ぎ、姑に続き21歳より行商を引き継ぐ。当時、津居山気比間には橋がまだなく、海で獲れた魚を買い付け、渡し舟で対岸に渡り徒歩で城崎温泉まで行商に行った。 田畑で栽培した野菜と共に、塩をした甘鯛や小鯛や鰈の焼き物などを籠に入れ肩に荷い、赤い腰巻に絣の着物といういでたちで、朝暗いうちより出で、1日中商いをした。 出産前後1ヶ月ほどの休みのみで、8人の子どもを育てながら82歳まで励んだ。 当時行商人はほとんど女性で、数は55人を数えた。 現在92歳で今も健在である。 |