1992年6月例会

開催月日 6月27日(土)

開催市町

八鹿町
テーマ 「民芸・ふる里を美学する」
〜渡辺うめ「あぜみちの詩」ふる里人形のロマン〜
講 師 渡辺うめ  吉田ふみゑ(常民学舎民族誌「沙羅」編集長 加古川)
場 所 宗恩寺 (八鹿町宿南)
担 当 藤田 小林 友田 中尾

会場は、うめさんの村、山ふところ濃い緑に包まれた宿南の宗恩寺の研修道場で行われました。
足が少し悪く椅子に座ってお話を聞きました。また、今回は県下で唯一格調高い民族誌である「沙羅」の編集長で加古川の吉田ふみゑさんにも加わっていただき但馬以外でのうめさんの人形展の様子を聞きました。たくさんの資料の中から一部紹介します。


うめさんは青森生まれ。看護婦の資格を取り東京の小学校の看護婦をしながら独学で人形を作りをはじめました。昭和15年には、第十回童宝美術院展に出展した「女中に来た子」で優秀賞を受賞しました。昭和19年戦争のため夫の郷里、八鹿町へ。当時の宿南地区には医者がいなかったため医療活動に従事することが多く軽いケガなど家でキズをぬうこともしばしばあったようです。人形作りはつづけられ「昭和25年ごろの農家はこれといった現金収入がなく、近所の主婦達10人ほどでスキー人形を作り神鍋スキー場までよく売りに行った。」

本格的に人形づくりに取り組み始めたのは昭和58年にご主人を亡くされてからということです。
うめさんは、人形を作るにあたって「実際の古い農具を見に行き、写真を撮ったり、大きさを測ったりして出来るだけ実際のものに忠実に作るようにしていますし、色についてもタマネギの皮で染めたり土の中に埋めるなどしていい色を出すように工夫している。」と笑顔で話されました。
「私の生まれた青森も但馬も同じ田舎でたくさんの共通点があります」うめさんの人形づくりを支えている力は、こうした田舎への想いであり、そこに生きた人々への「愛」だといえます。

うめさんは「苦しい仕事なのに明るく楽しそうに働いていた人々を思い起こすと、あふれるような情感がわいてきます。但馬の土に生きた人達の本当にいい 「顔」を伝えるために、これからも人形づくりに励みます。」と話していた。       ルックやぶ  91.4  より


但馬の国に生きた人びと」と名付けて人形を作り数年、
作っても作っても皮相なものばかり。
ほんとうの農民につけるのはいつかなと思うのもおこがましい限り。
人形はあくまでも人形です。
楽しく作っています。        
               渡辺  うめ     (あぜみちの詩Vより)

なごやかなムードでうめさんの話を聞きました。また、吉田さんもうめさんの人形を見て加古川のほうで作品展をおこなったりしているとの事でした。