1993年9月例会

開催月日 9月25日(土)

開催市町

竹野町
テーマ 源流の人々と生活
講 師 長峰 是(竹野町三原区長) 小川嘉幸
場 所 サントピアあすなろ(三原小学校あと)竹野町三原
参加者 太田.日村.浜野.藤原.守山.湊崎.和田
担 当 湊崎

■ 小川嘉幸さんのはなし

昭和10年代軍需品を運び出すために道路をつけはじめた。軍隊から帰ってきた人達が、ここで住みたいと言われ三原の共有林の山を売った。その金で観音堂をむらの会館にしようと呼びかけて場所を広げた。
小さい頃水かがみをもってぐずやひらべをヤスでついてとった。夏は下の川におりて水浴びした。村には川が無く生活に困った。2キロ奥から水路を引っ張ってきている。水くみは朝早く清水を汲んだ。

■ 産業
三原の耕地は多いときで1000ヒロ(約15町歩)あり旧竹野町よりも供出が多かった。しかし、今は山の奥の田はみんな植林してしまった。今も田に木が植えられている。他にかいこ、林業(杉)牛、藁加工(蓑)など。 現在は林業、米、牛、養鶏、みそ加工で勤め人が増えた。

■ 参り墓と埋め墓−−人を葬る原型
卵塔(らんとう)卵の形をしたお墓がある。
人が亡くなると村の人がだぶせ(埋め墓のあるところ)に出て穴を掘る。座棺を穴に入れ、土をかぶせたのち、下の川の石を拾ってきて1m四方50〜60cmの高さに積んで弔う。雪の多い三原では冬の墓掘りは大仕事であった。死者は、四九日の満中陰に仏となって帰ってくるといわれ、火葬となった今もだぶせにお骨を埋める人がある。三原のお寺は日高町栗栖野の大円寺で山道を6kmほどのところにある。坊さんに来ていただくときは、昔は駕籠で今は豊岡を回って自動車で送り迎えしている。


■ シンポジウムの報告から
平成5.7.25ふるさとの山と海をつなぐ川−竹野川を考えるシンポジウムが−竹野南小学校で開かれた。基調講演の丸山隆氏(東京水産大学)は、堰の上流の水の貯まった所を減らし、動きの鈍い魚でも登ることが出来る魚道に変える、川をよくするためにみんなが工夫する、川の良さを再発見してほしいと提言しています。パネラーは生活第一で川を汚している。楽しく遊ぶ川が汚れているのは残念。地区毎に川遊びの場所を考えるのは大人の使命。自然と共生する事業の取り組み。全ての自然を汚さない行動を。誇れる竹野川に。川に生かされていることを知った。竹野川は大切な資産だ。

■ 竹野川生物調査研究会のみうら かずひこ(大谷女子大講師)氏の報告から
竹野川は源流から海まで約20kmほどで、標高差が500mあるため、一気に流れ落ちるため、はって拡がるツルヨシがほとんどで、ヨシの好む環境でない。
川は流れる水のエネルギーで岩や石ころや砂を運び岸辺を洗ってその形を変えます。また、栄養を山から里や海に運んでいきます。人々の生活から出るものをながしさります。川原が変形されやすいところにはツルヨシが生え、生活排水が流れ込む川辺には、ミゾソバが群生し、その近くの水の淀む所にはオオカナダモが生えている。この川の植物は語っています。

■ 三原のくらし
          
当日資料「峠を越えて」豊岡農業改良普及所57年発行より
ささまき 笹の葉に餅粉の団子を巻きとうしみで括ってゆでたもの。節句。
まゆだま 農家の大切な現金収入の蚕が元気で、桑もよくできるようにと作られたまゆの形をし   ただんご。
丑  湯 土用の丑の日にしょうぶ、ひきおこし、たからだの青葉を8升鍋で煎じて風呂に入れる。
万  灯 麻がらに火をつけて火ぶりをする。
観 音 講 3月と8月に現在は老人会が中心で行っている。心経、御詠歌奉唱、会食、隠し芸大会、大数珠まわしが行われる。

三原の人達による実行委員会が町おこしの一環として、8月15日三原で「雲の上のコンサート」が計画された。アマバンド演奏会や紙飛行機とばし大会が行われ、浜地区人、お盆の帰省客など300人が集まったとのこと。源流の村三原は情報の流れの発信地として変わろうとしているように思えた。もうすぐ食事処「北野屋」オープン。