| 開催月日 | 6月24日(土) | 開催市町 |
養父町 |
| テーマ | 水路・水と私たち | ||
| 講 師 | 井口権二郎(郡上八幡市企画調整課) | ||
| 場 所 | 養父町中央公民館 | ||
| 担 当 | 西村 丸山 | ||
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親水公園計画を企画の養父町商工会青年部と共同シンポジウム ■ 「水を活かした町づくり郡上八幡」の手法を聞く 格子戸を開けると、軒先の用水路にきれいな水がさらさらと音を立てて流れています。 この用水路のある町並みが柳町です。柳町用水は、江戸時代の初期、当時の八幡城の第六代城主であった遠藤常友公によって造られたものであると言われています。 その後、この用水路は幾多の移り変わりを経ながら、昭和38年の八幡町上水道完成まで、飲み水以外のすべての使い水の供給源として柳町の人々の暮らしの中に溶け込んでいました。 上水道の完成後、八幡町の他の町筋にあった用水路はクルマ社会の到来とともに次々と暗渠化され、人びとの前からその姿を消していきましたが、柳町用水は蓋をされることなく昔の姿をそのまま残してきました。これをみても、柳町の人びとのこの用水路への愛着と親しみの深さを感じることができます。この用水路を守るための〈柳町水路組合〉が組織されたのは明治時代で、それ以来この水路組合は現在に至るまで水質の保全や推量の確保、用水路の維持管理などに大きな力を注いできました。 しかしながら昭和59年に用水路の老朽化によって各所で漏水が著しくなり、柳町三自治会では八幡町当局に対して水路改修を陳情しました。一方、これに先立ち八幡町役場では昭和 58年4月頃から各地区において「八幡町総合計画地区座談会」を開催し、総合計画策定のための資料を集めていました。その計画の基本構想の中に「町並みに調和した風情ある水辺景観の整備と八幡町の伝統建築様式を残している町並みの保全」が盛り込まれていました。 昭和60年2月になって、先に陳情した柳町用水路の改修について、「八幡町役場としては、八幡町総合計画の中の歴史的水路整備事業として取り上げ、柳町の町並み保存と一体となった調和のとれた整備をしていきたい。町並みについては、町が昭和 59年に調査した結果次表のように、大正、昭和初期の八幡町の伝統的様式を持った古い家が今までも数多く保存されている。 これらは八幡町の誇るべき財産でもある。おりしも宗祇水が全国の名水百選に選定されたことでもあり、古い町並みの保存に地域としても積極的に取り組んでほしい」との要請を受けました。 昭和60年2月、歴史的水路整備および町並み保存について関係地域の人びとに理解と協力を得るため、全戸を対象にした行政側からの説明会が開かれました。説明会の主な内容は次のとおりです。 一、歴史的水路整備と町並み保存の必要な理由 一、保存地区として選ばれた理由 一、今後の進め方 一、行政としてのこれに対する力の入れ方 一、住民としての協力の要請 ■ ポケットパーク構想 毎年八幡町を訪れる観光客は、年間100万人を越えます。しかし、その多くは夏の時期に集中し、四季を通じた観光誘致が大きな課題でありました。 そんなおり、考えもしなかった「水」や、郡上八幡の風情に都会に住む人たちが好感を持っていることがわかり、街角で遊んでいるわずかな空き地や、史跡を利用した公園整備=水を活かしたポケットパーク構想がつくられました。 この構想は、町(市街地)全体を公園にみたて、観光客の方に歩いてもらうために考えられたものです。 小さな公園スポット(点)と点を結ぶことで線に、そして面へと広げていこうとしたのです。住んでいる者にとっても快適性が高まり、住環境がよくなっていくことで、景観といったことに関心が向けられていったような気がします。 整備が終わった水路には、前にも増して美しい水が流れ、古い町並みと調和した水のある素朴な眺めは、郡上八幡を訪れる人たちの心をいやし、潤いを与えています。また、地域の人々は、日々水の恵みに感謝しながら、この町並みと美しい水を守っていこうと、決意を新たに熱い思いに燃えている次第です。 |