1996年2月例会

開催月日 2月24日(土)

開催市町

日高町
テーマ 廃村・金山の生活と山の恵み
講 師 冨山利一 (金山最後の住人
場 所 中嶋氏宅(日高町羽尻)
担 当 中田 中嶋

 
■ 金山
金山(きんざん)は蘇武岳から2キロほど下がった山の中にある。
昔は鉱山の村でした。手掘りでしたから体がどうにか入るほどの穴が200ほど残っていま す。鉱石はふもとの金谷まで肩で負い、馬で生野まで運んだそうです。

金山の栄えた時期、応仁の乱のころ山名宗全の軍資金として徴用された。
廃坑は江戸中期と言われている。

■ 発電所のこと
大正年間、ダムによる水力発電(直流) 「阿瀬発電所の工事で世話になった」と関電が金山に10キロの発電機の小さい発電所を作ってくれました。昭和29年ごろです。ラジオを村中買いました。文化生活ができるんだなと思いまし た。家は当時6軒でした。寝る時に電気を消すから残った電灯がカアーとしてしまいました。電力維持のため終日電灯を点燈、もちろん電気代は0。 「電気を消さんようにしてくれ、切っていいのはラジオだけ、電球は 増やすだけ増やせ」ということで、金山は不夜城でした。

■ 山村の生活
金山の生活は炭焼きと百姓です。収入は炭焼きでした。
男が金山から家まで担ぐ(4俵)〜女が家から金谷までかつぐ(3俵)。
金山の生活で私たちがいちばん困ったのは終戦末期以降の教育です。先生を頼むにしても5軒や6軒でお金を出すのは負担が大き過ぎます。私が子 どものころは、三方小学校の分校扱いでしたが、家庭教育所というのが金山にあって、村のちょっと頭のいい人に教えてもらっていました。

冬の生活
自家用のわらじ、背負子、鍋つかみ等を綯う
鉄砲で兔などを狩猟

食べ物
雉、山鳥、うさぎの肉をすき焼き風・くし焼き(砂糖醤油)、牛肉の干物、たぬきのみそ鍋にわとりを買って来て、さばきすき焼きにした。どぶろくを作る。

■ 廃村までの戸数
1945年〜59年  7戸
1960年       4戸
1960年10月   3戸
1962年12月26日  雪降る日 最後の住人 冨山さん山を下りる 廃村

■ 最後の住人山を下りる
親戚が「力餅」をやっていて出 てこんかと村の者は誘われました。みんなひっぱりで、最後は私の家一軒になりました。家内と子ども4人です。
昭和37年12月26日でした。昼から雪がちらちらして 、金谷まで帰ったら白くなっていました。不動さんまで帰ったらすね坊主の下までありました。暗くなって家へ着きました。一晩で1メートル積もることもあります 。
「だれが悪くなっても冬が過ごせんぞ。もう今夜出ようや」。家内が用意していた夕飯を食べて、仏さんに灯明をあげ線香を立て、残った火に灰をかけ 、家を出たら家内は涙をポロッとしていました。長男が小学校6年でした。私が出たら何百年続いた金山はおしまいだなと、金 山の村の下に架かっていた土橋で私も泣きました。それから後、ふもとの羽尻の村で暮らしていますが、テレビで離村の番組があると、チャンネルを変えよった。春になって金山に行っても家を見たいことなかったです。