1998年5月例会

開催月日 5月15日(土)

開催市町

豊岡市
テーマ なぜ但馬は湿気たのか
講 師 田中栄一  玄武洞ミュージアム館長
場 所 玄武洞ミュージアム
参加者 島垣・浜野・湊崎・池口・岩本・丸山・住吉・西村美・太田
担 当 太田 、西村m


説明される田中氏(怪我をされていた)

昔から豊岡盆地は洪水銀座であった。六方田圃全体が水没し、時には一週間以上水が引かないこともあり、稲が全滅することもしばしばおこり、農民は非常に難儀をしていた。その水没した豊岡盆地に背の高いコリヤナギだけは水から顔を出し優雅に葉を揺らし、すくすくと生長し続けていた。そして、水の引いた後には肥沃な客土が覆い、コリヤナギを益々生長させていった。このコリヤナギを人間が何とかしようと考えたのは自然ななりゆきであった。正倉院にコヤナギ製品があることから、歴史もそのあたりかと云われるが定かでない。
全国の河川氾濫地区(北海道仁木町、岐阜、高知、熊本など)に豊岡のコリヤナギの技術が導入され、明治時期にはかなり交流があったとされる。今では、豊岡もそうだが、後継者難で産業として成り立たなくなり衰退の一途をたどっている。しかし、光明もある。いま、コリヤナギの性質がかなり見直され、その独自の風合いを活かした製品が次々と市場に出回りつつある。ラタンと違い、水を加えることにより、よりしなやかになり、そして、乾燥後の締まりは絶品である。コリヤナギの性質をより理解し、研究すればもっとよい製品が出来ると、意気盛んだ。
豊岡の歴史は水害との戦いであり、コリヤナギ産業の歴史である。



ミュージアムには 江戸時代に作られたものから現代のものまでの柳細工が展示されている。原料の柳はコリヤナギ。豊岡地方は水害で水につかることが多く、自生していた柳を編むようになったのが始まりで ある。また雨や雪が多く多湿な気候は柳の加工に適してい た。柳は作業に適した柔らかさになるように適当な水漬を行ない、これを使って弓糸に差すことから始めて、柳を交互に分けながらこれに麻糸を通す作業を繰り返しながら編み上げていく。

参勤交代などのおりに使われたと思われる家門入りの笠があった。しっかりしたもので触ると堅い。柳細工は作業段階では柔らかいが、乾くと固く締まるのが特徴で ある。1668年豊岡城主となった京極伊勢守高盛以後、代々の藩主が豊岡の産業として力を注いだ。


大正から昭和の初期の作品は今、見ても、実に"おしゃれ"である。 明治26年シカゴ万国博覧会に始まって、大正14年パリ国際大博覧会などに出品し、金賞、銀賞など数々の成績を収めて国際的に活躍した。
衣類入れの行李は気候の変化が激しく、多湿と乾燥の差か大きい日本で衣服を守るのに適していた。 右上の写真の行李の大きなものは「裃行李」、小さい方は「進物行李」「五条」と呼ばれ、大中小が作られている。


左上は 籠などを編む時に形を作る木型である。組み合わせ式になっていて、出来上がるとバラバラに崩せるようになっている。
右の入れ物も江戸時代のものでがっちりしている。100年以上経ったものとは思えない。中を開けると木で補強がなされていた。

追記
講師の都合上一時間しかお話が聞けなかったが、講師は地質学にも非常に造詣が 深く、学術的に地質からみた豊岡の湿気の話が聞けなかったのが非常に悔やまれ る。