| 開催月日 | 8月29日(土) | 開催市町 |
出石町 |
| テーマ |
明治の芝居小屋 永楽館 | ||
| 講師 | 藤森敬一(福井工業大学建設工業学科 ) | ||
| 場所 | 出石町永楽館 八六荘 | ||
| 参加者 | 池口・岩本・太田・島垣・住吉・戸田・友田・中田・浜野・藤原次・丸山 会員外16名 |
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| 担当 | 湊崎・池口 | ||
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■ 永楽館の見学 出石町教育委員会社会教育課 湊崎課長より資料により説明 (1)見どころ *敷地面積:280坪 木造2階建て瓦葺き、太鼓櫓、延べ面積180坪 *回り舞台.すっぽん.花道.はやし場.桟敷席.スリットな どを見て歩く。埃の中、床下(奈落)にも入って見る。回り 舞台の装置が見られ、花道の下も細長いトンネルのように なっている。二階桟敷には、町内商店の広告の看板が往時の 町を彷彿とさせて並んでいる |
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■ 永楽館の歴史・・施設・・ *永楽館(当初芝居小屋、定員702名)は、明治34年6月26日、 出石町柳町に代々 紺屋を家業としていた小幡家十一代目久 次郎(昭和3年没、55歳)氏により開場された。 永楽館の名前は出石城主仙石氏の家紋が永楽銭であったこと に因んだという。 *明治35年、窓の増設、回り舞台の新設、屋根組の補強、楽 屋便所の増設等を実施された。 *大正2年定員702名を574名とする模様替え、正面出入り口改 造の実施。 *昭和5年映写室を設置して、映画を写せるようになった。 *昭和25年観覧席の補修模様替えを次のように実施された。 ・客席の板の間を取りコンクリート土間とし、長椅子とする。 ・出入り口、下足場を改造。 ・花道の奈落を延長し鳥屋を設置。 ・映写室を2階北側に移転拡張、これに伴い2F観覧席の改造。 *昭和 40年代テレビの普及や娯楽の多様化で閉館となる。 |
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■ 永楽館の歴史・・上演・・ *明治から大正期の演目は主に歌舞伎であるが、新派劇、 剣劇、節劇、連鎖劇、壮志劇、落語、奇術等も行われた。 *日露戦争後、出石初午祭で昼夜2階の興業で大入り札止めの 盛況だった。 *大正3年11月 嵐三つ団子一座の興業。 *大正5年9月 大阪歌舞伎森田家一座、三津五郎一座の興業 *大正8年6月 新派劇井上春夫一座の興業 *大正8年9月 浪花節劇秋山一座興業、また、政治家の演説 会場にもたびたび利用された。 *大正末からは映画も多く上映されるようにった。 *昭和にはいると楽団、弁士の一行の巡業が続いた。 *昭和6年頃からトーキー時代にはいる。この頃より治安維持 法の下で警官の臨監席が一階客席左後方に設けられるなど、 思想娯楽の検閲、統制が厳しかった。 戦後は映画の上映が中心となる。 *昭和26年からカラー映画時代に入っていく。 *一方舞台では地方劇団のほか、花菱アチャコ、宝塚歌劇団、 歌舞伎、又一郎一座、松旭斎天勝一座、吉田奈良丸〜寿々木 米若等の興業が行われた。 |
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■ お話 「日本の芝居小屋と永楽館」 講師 藤森敬一氏 福井工業大学建設工業学科 藤森敬一氏先生は全国の芝居小屋を見て回り建築面ばかりでなく、どのように芝居がされてきたかを克明に調査され、その復元のためには労を惜しまずライフワークとされている先生です。 先生からはオーバーヘッドプロジェクターにより、芝居の歴史と現存する日本の芝居小屋の中での永楽館の特徴を聞きました。 (1).芝居の歴史 *芝居のもとは竹の一本足につかまって演じる田楽で「おでん」の語源となっている。初期は舞台だけに屋根がありお客は野外の芝生に居てみたというところから芝居という名がついている 大岡越前が「芝居小屋の屋根は瓦葺きに、壁は塗り屋作りにせえ」と防火対策を命令。法規制によって劇場が発達した。 明治5年、劇場が免許制になり、日本各地に芝居小屋ができた 昭和の初め頃から映画を併せて上映するようになったが、昭和30年代からのテレビの普及により映画も廃れていった。現在、全国の芝居小屋は10数施設だけ残っている。 永楽館はその貴重な一つで主体構造が木造で概ね江戸期末の歌舞伎劇場の空間構成を備えている。なお、入場料で運営する都市劇場として設立されたもの。 |
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(2).永楽館の特徴 * 歌舞伎の上演に支障のない空間構成を備えていること。 *現存する希少価値のある芝居小屋.往時の文化を語るもので あること。 *館の大きさが演ずる人と観客のためにちょうど良い空間 (大きさ)であること。 *回り舞台、楽屋、本花道、すっぽん、仮花道、チョボ床下 座、花道下の奈落、スリット、桟敷、など芝居小屋に必要な 装置を持っていること。 *中でもスリットと呼ばれる、役者が空をとぶ場面を演ずる事 の出来る装置を持っていること。 *更に舞台周辺には衣装部屋、道具部屋、湯殿等がある。 *また舞台2階には楽屋、床山部屋、物置がある。2階後部桟 敷から太鼓櫓に登ることが出来る。ここで「本日興業あり」 の太鼓を鳴らしたという。 | |
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■ トーク ※町教育委員会より、永楽館の復元についての考え方について 今年度800万円の調査設計費をつけています。来年度より2年かけて、この地に芝居の出来る創建当時のものを復元したいと考えています。 すでに出石には町民有志による演劇集団も活躍しています。と説明があった。 ※映画を見た人の話 芝居を見た記憶はないが、あらゆる映画が上映された。人気の映画は立ち見席もいっぱいの人達で埋まった。他に娯楽が無かったので、何よりの楽しみだった。今日入ってみて懐かしかった。 ※芝居を見た人の話 この芝居小屋にはスリットが設けられ、役者が空中をとぶことが出来る設計になっている。市川猿之助さんに芝居をしてほしい。昔のように弁当食べながら芝居を見ることが出来るなど現代のホールとはひと味ちがう運営をしてほしいですね。時代の波に取り残された永楽館は、明治期の芝居小屋としては近畿地方に現存する唯一の貴重な建物です。多くの町民がもう一度昔の姿に復興させようと立ち上がり、その熱意が町を動かし、文化財として整備することに着手しようとしています。再び「本日興業あり」のふれ太鼓がなり、舞台に役者が上がる日を夢見ています。 |
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