| 開催月日 | 12月5日(土) | 開催市町 |
城崎町 |
| テーマ |
城崎の木造3階建ての旅館 |
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| 講師 | 井上基一郎 | ||
| 場所 | 城崎文芸館 | ||
| 参加者 | 島垣、浜野、湊崎、中田、太田、田中、中尾、西村美、丸山、藤原次、中尾、田中 |
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| 担当 | 椿野・池口 | ||
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■ 講師井上基一郎氏の北但大震災体験 1925年(大正14年)5月23日11時09分、北但大震災が発生した。(その2年前、大正12年に関東大震災が発生している。)その時、小学校2年生であった。土曜日であったため、早く家に帰っていた。家に帰ってから10分後に地震が発生した。庭に飛び出そうとした時、家が倒れて、足を挟まれた。その後、東山公園に避難した。桃島と今津は被害がなかった。怪我の治療のために、貨物列車で鳥取の赤十字病院に入院した。 城崎の復興には、当時の西村佐兵衛町長の強力なリーダーシップと、被災者の大半を占める旅館業者らの積極的な参画があったとされている。西村元町長は、教育と温泉を大切にした。地震が発生した4日後の27日には、大テントの下で小学校の授業が始まった。 |
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■ 復興計画の概要 当時の西村町長が母校の早稲田大学の人脈を通じて、著名な建築家、岡田信一郎氏や吉田氏らに、温泉や小学校の設計を依頼する。 ◎ 道路の幅 駅前10m、その他6、4mとした。 ◎ 河川の石積み 玄武岩を使用した。 ◎ 防火建築の効果的な配置 ◎ 景観面の配慮 一の湯前の橋より上流は桜並木とし、下流は柳並木にした。 ■ 協力と振興 昭和2年、大丸百貨店と三越百貨店で、城崎の復興を宣伝した。朝日新聞と毎日新聞が、昭和43年頃まで、6月の暇な時期にお客さんを招く協力をしてくれた。 昭和6年、円山川に水上飛行機を飛ばした。全部で3,206人乗客を運んだ。 |
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■ 木造3階建て 木造3階建ての旅館は、土地が狭かった為に、少しでも沢山お客を入れるために3階建てにした。しかし、旅館火災の多発から建築基準法の改正強化により木造3階旅館が不適格建築になり、城崎の町並みは現在、大きな危機に遭遇している。 |
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