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1999年8月例会
開催月日 9月4日(土)

開催市町

豊岡市
テーマ 玄武岩の石垣を積んだ住宅群
講師

西浦鼎(郷土史家)

場所 加陽公民館 ほか
参加者 島垣、浜野、和田、池口、中田、戸田、丸山、細見、太田、友田、宮田、石田、中尾、藤原次、木村、高石、湊崎
担当 湊崎、宮田


講師 西浦鼎氏
豊岡市加陽(かや)に生まれ育って83才。古い時代のことも昨日のことの様に記憶され当時の円山川の氾濫のことや石垣づくりのことを詳しく説明をして下さった。

■ 加陽の水害の歴史
円山川と出石川が合流する地点に位置する加陽地区は、古くから水害との戦いを続けていた。
特に、昭和9年の円山川の大改修までは、大曲に位置し、大雨のときなどはまともに流れがぶつかっていた(現在でも、加陽地区の堤防にあがり対岸を見ると、旧円山川(八代川)の流れがぶつかっていたことが偲ばれる)が、改修後屋敷まで水が浸かることはなくなった。当時、その大曲には3尺程度の堤防があり、玄武岩を積み上げ水を受け止めていて、現在でも掘れば玄武岩が出てくるとのことである。
また、大曲に位置する西浦商店の向かい側の家の屋号が「おおいとや」と呼ばれるように、水を排除するだけでなく利用してもいた。
 

■ 玄武岩はどのように運ばれたか
円山川でも下流域に位置する加陽地区では、中流域より上と違い、屋敷の基礎を高くするかたといって、河原から人頭大の石を集めてくることができないため、ある程度の大型の船も上ってこれるという位置的なことから、船により玄武岩が運ばれてきた。
これらで石垣を築くのは日役的なものとして、村人が協力したようである。玄武岩の成り立ちなどから、手を掛けることなくきれいに積めるように思われるが、 見栄えが良く積もうとすると、石を真っ二つに割った上、後ろになるほうを少し削る必要があるなど、手間がかかったとのことである。豊岡市内で散見される 玄武岩の石積みできれいなものは全て人工的な加工が施されている。

 

実際に玄武岩を使ってこの地域の石垣を造った地元の職人さんの安達さん。玄武岩は玄武洞より船で運んできた。 右は
加陽の元地.主の家の石垣

■ 水害から財産を守る
大改修で水害を受け難くなったとはいえ、それまでは大きな被害を受けていた。したがって、加陽地区の家の中には、仏壇の下にコロをつけて、移動できるよ うにし、大雨のときにせび(滑車)で2階に上げられるようにしてあった。また、火事の対策として、土蔵などは土壁ではなく、石灰に小石を混ぜた通称「万力 壁」が塗ってあるものもある。

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